【モンク思考 自分に集中する技術】僧侶の考え方で生きていく幸福感

こんにちは、リョウです。

【モンク思考 自分に集中する技術】という本を買ってんだ感想と自分が勉強になってポイントを書いている記事になります。僧侶で修行経験のあるジェイ・シェティ氏による500ページに及ぶ力作です。

本屋へ行って、気になる本を一冊買おうと色々みていた中から、こちらの一冊を選びました。

結論から書きますと、とても幸福度の上がる内容になっていて、自分の内面を美化していける方法を教えてくれます。スピリチュアル的な要素が重ですが、『手放す』『成長する』『与える』という自分との向き合い方と他人との接し方がすごく勉強になりました。

今後も読み返して、自分に集中する技術をマインドできるようメモとして書いていきます。

はじめに

著者は18歳にして、リッチな人たちに山ほど出会っていた。有名な人、強い人、格好いい人、その三つの要素をすべて兼ね備えた人・・・。でも、ほんとうに幸せそうな人には出会ったことがなかった。

友人に誘われた僧侶の公演を聞いて、改めて上記のことを感じたそうです。外見や外的要因によって上記に人たちは輝いているかもしれないけど、内面はわからない。本当の幸せとはなんだろう、というところから始まった。

僧侶は誘惑に耐え、批判を慎み、苦しみや不安と向き合い、エゴを鎮めて、目的と意味のある生き方を実践する。地球上で最も心穏やかで、幸せで、最も明確な目的意識をもって生きている彼らに、僕らは学ぶべきではないか?

僧侶について全く知らなかったです。地球上で最も穏やかな人々。

サンスクリット語は古代から伝わる言語で、現在、南アジアで使われている言語の大半はサンスクリット語から派生されている。

知識としてメモ。

生まれた瞬間から死ぬ瞬間まで、ずっと自分のそばにいてくれるのは、呼吸だけじゃないか。友達や家族とはいつか離れ離れになるかもしれない。住んでいる国にずっといられるとも限らない。でも、呼吸だけはいつもそばにいるよね。ストレスを感じる時、怒りを感じた時、何が変わる?呼吸だよね。だから正しい方向に導けるようになれば、どんな状況にも対応できるでしょ。

10歳の僧侶に最初に会って言われて言葉。難しい勉強や知識より、まずは呼吸法を極める。始まりも終わりも、すべて呼吸。

パート1 手放す

第1章 アイデンティティー 自分だと思っているもの

僕らは、他人の感じていることを感じとり、それが自分だと思ってい生きているうちに、ほんとうの自分を見失ってしまった。他人の夢を自分の夢だと思い込んで追いかけていたら、自分がほんとうは何者で、何に生きがいを感じるかなんて、どうして分かるだろう。

引き離して考えること。そして、自分の意見という中核にあるものも、改めて考えた上で自分というものがある。

家族や友人、社会やメディアは、「人はこうあるべきだ」とか「こうするべきだ」というメッセージをさかんに発している。高校を終えたら一流の大学へ入れ。金になる仕事を見つけろ。結婚しろ。マイホームを買え。子どもを作れ。出世しろ。世間には世間なりの標準が存在するものだし、幸福な人生とはこんなものなのかもしれない、という社会的モデルがあってもおかしくない。ただし、そのモデルを無条件に自分の目標にしてしまうと、現実に達成できない時、訳分からなくなる。

最近は世間一般的な成功が通用しないというか、耳に入らない生活リズムや環境においている。親には社会的に当たり前のことを言われてきたけど、私自身いうことを聞かないし、頭もよくなかった。なので、まともに就職もしたこともない。息子には、自由に生きてもらいたい。

両親、友人、学校、メディアは、ああだ、こうだといって、自分たちの信念や価値観を若者に植え付けようとする。社会がいう幸せな人生の定義は、誰にでも当てはまるように見えて、じつは誰のものでもない。ほんとうに自分らしい人生を送りたければ、周囲の雑音にフィルターをかけて、自分の内面を見つけめるしか道はない。それが「モンク・マインド」を育てるための旅の第一歩だ。

雑音というのは、SNSやニュース。100%みないわけではないけど、Twitter以外は全て辞めたしテレビもない。自分を見つけ、自分を育てる。

人の価値観は生まれついた環境と経験に左右される。厳しい環境に生まれたか、恵まれた環境に生まれたか。褒められて育てられたか、そうでないか。たいていの親(もしくは養育者)は、子供にとっていちばん賑やかなファンであると同時に、一番口うるさい批評家でもある。

我が子というのは可愛いからなんでも言いたくなってしまうかもしれない。ただ、元気に育ってくれればそれだけでも幸せと常に思うようにしている。毎日笑顔でありがとう。

(学校教育において)事実(ファクト)中心のカリキュラムでは創造性が育ちにくい。

日本で子育てしていくことにすごく抵抗があるのが学校教育。同調圧力によって個性は活かせれないから、できれば海外で学ばせたいと考えている。

僕らの価値観は心(意識)に入り込むものによって左右されるということだ。心は僕らの道具であって、僕らの本質ではない。僕らのマインドという道具を使って、どんなものでハートをときめかせるかを決めている。僕らが日頃楽しんでいる映画、音楽、本、テレビ番組、ネットの内外でフォローしている人間。そういうものは全て心に影響を与える。成功者の物語、暴力的なビデオゲーム、ネガティブなニュースを吸収すればするほど、僕らの価値観は、妬み、決めつけ、競争心、不満に汚されていく。

情報は取捨選択に限る。

周囲から聞かされる意見や期待や義務といった雑音のボリュームを絞ったとき、自分自身の声が聞こえてくる。静けさの中で、僕は、外界との雑音と自分の声が違うことに気がついた。他人の考えという埃を振り払いされば、自分の核となる信念が見えてくるのだ。

簡単なようで難しく、難しいようで簡単なこと。スマートフォンを意味もなく見る行為もやめていかなければならない。

新しい環境に身を置いたとき、自分に何が起きるかを探ってみよう。まだ行ったことのない公園や図書館に足を運ぶとか、見知らぬ土地を旅するといいだろう。

自分と向き合う3つの方法のうち、いちばんやりたい方法をメモ。旅の道中がとにかく好きで、早く海外も気軽に行けるようになってほしい。

研究によれば人間は一生のうちに平均して33年間を睡眠に(そのうち7年間は寝るための努力に)費やし、1年4ヶ月を運動に、3年以上を休暇に費やす。女性は一生にうち136日を身支度に費やすが、男性の場合は、ぐんっと減って46日だ。

概算ではあるけど、知識としてメモ。

ある研究によれば、現代人は、なんと、一生のうち平均11年間もテレビとSNSに費やすことになるという。自分では何気なくメディアを選んでいるつもりでも、それに、費やしている時間にきみの価値観が現れる。

生活の面では不便になるけど、そのうちスマホ離れも一部のコミュニティでは出てきそうですね。

捨てることは不自然だと思って、しがみついている。でも、手放せば、その先にはゆとりと落ち着きが待っている。だから、僕らも、日々の生活を占領している人間関係や考えから自分を、物理的には無理でもしても、心理的に、切り離してみよう。そして、自然観察の時間をつくって、本来、自分がどんなことに魅力を感じ、何に突き動かされる人間かということを、観察してみよう。

人間関係はほとんど物理的に切り離したのでクリア。心理的には、やっぱSNSの情報が入ってきてしまうから、しっかり見直したい。
どうなりたいのか、という点を。

他人から聞かされる意見、期待、義務といった雑念にいったんフィルターをかけると、世界が違って見えてくる。そうなったら、次に他者をもう一度招き入れる段階だ。

育て上げたモンク・マインドをまた受け入れることによって、他者から学ぶこともできるということ。
そうすれば、自分に必要かそうでないかの区別がつけられるようになる。

第2章 ネガティビティ 邪悪な王様は空腹を満たさない

心を患う三つの病、比較する・愚痴を言う・あら探しをする。だった。うわさ話ももネガティブな思考習慣の一つだ。

当人がいない場所で、当人の話をするのはよくない。しかも、誰が聞いているか分からないし、勝手に噂が流れてよくないことばかりである。
思うことがあれば、当人に直接いうべし。

人には核となる三つの感情的ニーズがあって、僕はそれを「平和、愛、理解」と呼んでいる。そして、ネガティブ中井和、感情、行動というのは、その三つのニーズが脅かされた時に発生しやすい。つまり、何か悪いことが起きるのではないないかという恐怖、自分が愛されていないことへの恐怖、自分が軽んじられることへの恐怖に陥ったとき、ネガティブにはしる。

好きな人には常に「平和、愛、理解」をもって接していきます。

自分とは異なる病にかかっている誰かを批判してはならない。誰に対しても完璧さを期待するな。自分を完璧だと思うな。

ネガティブな思考を抱かないようにするには、常々心にしまっておくべき言葉。

他人にどう扱われようと、動転しなければならないという掟はありません。わたしたちが動転するのは、『誰かにひどい扱いを受けたら、気分がいいはずない』という感情的な思い込みがあるからです。そういう時は反射的にやり返すのではなく、自分はなにものにも惑わされない自由な存在であることを思い出しましょう。そして動転することを拒否するのです。

やられたらやり返しても、意味がないという理論かな。最低限の人と付き合っていると、そのような場面には出会しにくいという感じです。

誰かがきみを傷つけに来るのは、その人が傷ついているからだ。自分の心の膿を撒き散らして、助けを求めている人、そういう人に出会ったらダライ・ラマ14世が言うように、「相手を助けられる時は助ける。助けられないときは、少なくとも、傷つけないようにする」のが得策だ。

心に響く名言。

他人を基準に自分を定義しようとすればするほど、僕らは自分を失っていく。

いい車に乗っている。いい服を着ている。いい家に住んでいる。
他人と比較してマウント取っても意味がない。むしろ、その先に何があり、何が残るのか。

真実だけを話さなければならない。誰にとっても有益な言葉、心地よい言葉を語り、他人の心を乱すような言葉は使ってはならない。

真実なら、時には事実(ファクト)的なことを言い合ってもいいとは思う。もちろん、お互いが尊敬できる仲間同士に限るけど。

僧侶が物静かだと言われるのは、言葉を慎重に選ぶように訓練されていて、時間がかかるからだ。僧侶を見習って、僕らも慎重に言葉を選び、意識的に使うようにしよう。

条件反射的に発してしまうことも多いから、心に銘じておきます。

僧侶は自分の選択や感情を誰かのせいにしたりしない。復習は自分で自分を殴るようなものだ。

例え仲間に騙されても、信頼していた分の幸せだったことを思い出し、小さな代償として考えるようにしている。

過去の自分の言動が恥ずかしくなったり、後ろめたさを感じたりすることがある。それは、過去の価値観と今の価値観が合致しなくなっているからだ。過去の自分を悔やんでいるこということは、進歩している証拠だ。

恥ずかしいと思うエピソードもよみがえってきます。けど、それは成長して進歩しているという小尾なんですね。言葉に納得させられて、安堵感を持ちました。

第3章 恐怖 「この世」という名のホテルへようこそ

感情は自分が感じているものであって、その感情イコール自分自身ではない。だから、「わたしは怒っている」ではなくて、「わたしは怒りを感じている」と言おう。「わたしは悲しみを感じている」「わたしは恐れを感じている」にシフトしよう。

捉え方を変えるだけで、劇的に気持ちが楽になりそう。感じている方向にマインドをもっていこう。

努力次第で改善が可能な状況を知らせてくれる恐怖は有益な恐怖だ。たとえば、食生活のせいで健康が悪化していると医者に言われて、障害や病気のことが恐ろしくなるとしたら、食生活を変えればいい。だからそれは有益な恐怖と言える。一方、親がいつか亡くなると思うと恐くてたまらないというのは、有害な恐怖だ。人が死ぬという自然の摂理はコントロールしようがない。その場合は、自分でコントロールできるものに視点を移して、有害な恐怖を有益な恐怖に生まれ変わらせればいい。

一つ前の引用とも同じだけど、マインド次第。

「起きるかもしれないこと」に一喜一憂せず、「現に起きたこと」を淡々と受け止める。修行中、僕らは新米僧侶はこう教えられたものだ。「ものごとを性急に判断するな」。

未来は誰にも分からない。起こったこと、起こってしまった時に判断するにも重要。

4カウントでゆっくり鼻から息を吸う。

4カウント息を止める。

4カウントかそれ以上かけて、ゆっくり口から息を吐く。

この呼吸を、心臓の鼓動が落ち着いてくるまで繰り返す。

緊張した時のリラックス方法。メモ。

人生は脈絡のない出来事の寄せ集めなどではなく、過去と未来にまたがる一つの物語だというのに、それを忘れてしまう。

自分自身で経験や体験や勉強をしたことが今の自分であり、それを繰り返すことによって成長する。急にスターになる人はいない。

恐怖ー病気、貧困、地獄に対する恐怖、死に対する恐怖
欲望ー成功、富、快楽によって自分を満足させようとする
使命感ー感謝、責任感、そして正しいことをしたいという気持ち
愛ー他者への思いやり、他者を助けたいという気持ち

人それぞれではあるけれど、この中のワードで自分に当てはめると愛と感謝かな。

僕らは成功イコール幸福だと考えているが、その考えは幻想にすぎない。業績やものを人生の目標にするのは、世界的に成功の定義によって幸せかどうかが決まっているという幻想があるからだ。

ニュースやSNSによって、お金を稼いだ人が勝ちみたいなフェーズになっている。ある程度は欲しいけれど、と思ってもします。

外的な事象に幸福を求めている限り、いつまで経っても待ちぼうけです。なぜなら事象はつねに変化し続けるものだからです。

いい車、いい家、いい服、いい女。いっときの快楽では意味がなく、常にアップデートされているから知識に投資をした方がいいと。無形遺産を築き上げる。

「すべてを手に入れた」かにみえるお金持ちや有名人も、人間関係に恵まれなかったり、うつ病に苦しんでいたりする。どう考えても、成功が幸福をもたらしていないのは明らかだ。それは金持ちでもない有名人でもない僕らにも言える。

世間的にお金持ちに見えている人でも、内面が満たされているとは限らない。人間の幸福はものでは決して決まらない。

お金が多い人ほど、人生の全体的な満足度は上がるものの、年収が7万5000千ドルを超えると、満足度は横ばい状態になる。

これは私自身も体感済み。1ヶ月100万円稼いだ時期もあるけど、ある時急にお金に興味がなくなった。今は40万から50万くらいだと思うけど、幸せです。

2005年以降、アメリカ人の収入は増加傾向にあるにもかかわらず、幸福度は下がっている。その理由として揚げられるのが、政府に対する信頼とアメリカ人同士の信頼が低下していること、そして社会的に人と人とのつながりが弱くなっていることだ。

アメリカの状況がこれなら、日本はもっと幸福度下がっているのではないだろうか。政府は利己的だし、東京は忙しなく自分のことで精一杯。
早く田舎かバンコクに移住したい。

文脈は省きます。
欲望が動機であることはよくなく、使命感と愛が動機になると素晴らしい。

行動を見直して、使命感と愛があふれる動機ばかりにしたい。

第4章 意図 金に目をくらませるな

欲望を一つ選んで、なぜそれを求めているか自問しよう。根っこにある意図を掘り当てるまで問い続けること。
すると、こんな答えに突き当たることが多い。

自分をよく見せたい、自分に満足したい。
安心感を得たい。
人に役に立ちたい。
人として成長したい。

メモ。

復讐心や利己的な意図をもって行動するのは、雑草を生やすようなものだ。そういう雑草は、一般に、エゴ、強欲、妬み、怒り、うぬぼれ、競争心、ストレスから生まれてくる。

復讐心は誰もハッピーになれなし、むしろ後悔しかないだろう。絶対にやってはいけないこと。

スピリチュアルな人生を送れるかどうかは、そういう日常的な行動をいかに意識的にとるかにかかっています。

朝起きてから就寝までの行動を意図的、かつ能動的に稼働します。

「〇〇◯だったらいいのに」は、暗に「今と違うことは絶対にやりたくない」と言っているに過ぎないわけだ。

昔の仲間と会うとよく聞いていたフレーズだ。ここ数年は付き合う人も変わったので聞かなくなったけど、行動するしかないんだよねって話。

パート2 成長する

第5章 目的 サソリ性分

僕らのコミュニケーションのうち、55%はボディ・ランゲージ、38%は声の調子によるものであり、実際に発する言葉が占める割合はたったの7%に過ぎない。

オンラインで打ち合わせとか多くなっているけど、実際にあって話て、時には飲みながらわざわざ接することが大事だと思っている。

早咲きの成功者の多くは、成功を維持するためにとてつもないプレッシャーを感じている。

スポーツん世界でも同じことが言える。

製薬企業の実態に鋭い突っ込みを入れている。いわく、製薬企業の真狙いは、病気を治すことではなく、なるべく長期間薬を使わせることにある、と。

全てが全てではないと思うけど、利益のためならやっていることもあるでしょう。ただ、製薬企業のみならず、ほとんどの企業は必要ないと思う。

第6章 ルーティン 場所のエネルギー、時間の記憶

今という瞬間に過去を変えることはできない。できるのは未来を選択するというだけだ。そうすれば現在と地続きの未来が待っているかもしれない。5世紀の古代インドの作家カーリダーサはこんな詩を残している。「昨日は夢にすぎず、明日は想像でしかない。だが精一杯に生きた今日は、昨日の幸せな夢に、明日は希望の予想図に変える」

昨日も明日も誰にも変えることはできない。言葉の使い方として、昨日は夢、明日は想像、いい言葉ですね。

第7章 心 御者のジレンマ

餌をやるといっても、どうやってですか?
きみが何を読み、何に耳を傾けるか、どう時間を使い、何をするか、どこに自分のエネルギーと集中力を傾けるか、それらの全てが餌になる。

前にも勉強した、おじさんが孫に発した心の中に二匹の狼がいるという話ですね。

人が複数の異なるソースからインプットされる情報を処理しなければならないからだ。そのソースとは、今のこの瞬間に注意を集めようとする五感、過去の経験を思い出させる記憶、そして、長い目で見たとき何が最善の選択かを分析評価する理性だ。

情報の取捨選択が大事でもある。そして、取り入れた情報をどうアウトプットするかは自分の引き出しの多さにかかっている。

「これはできない」→「〇〇すれば、これもできる」
「うまくできない」→「上達するために時間をかけているところだ」
「自分は愛されていない」→「新しい人間関係をつくろうと働きかけている最中だ」
「太っていて酷い」→「自分史上、一番健康になろうとしている」
「何から何までこなすのは無理だ」→「優先順位を決めて、一つひとつ取り組んでいる」

解決志向型にアプローチを変えるだけで、希望が見えてくる。

実践可能な修行や挑戦の方法は無限に存在する。テレビを観ない、スマートフォンを使わない、甘いものやアルコールを摂取しない、肉体的ハードなことに挑戦する、うわさばなしをしない、愚痴をこぼさない、人と比べるのもやめる、などなど。

最近は、人と比べることをやめました。すると、何を目指したのか?という疑問に当たり、結局世間的に成功者として見られたかったのかなと。

「悲しみやネガティブなことばかり考えていれば、悲しみやネガティブなことへの感度が強まります。しかし、思いやりと喜びと内面の自由を育めば、ある種の心のしなやかさを手に入れ、自分の人生と堂々と向き合えるようになるのです」

上記のことを育てるスキルは?と著者が聞くと、
「脳を鍛えることです。自分を取り巻く世界を幸せと解釈するのも、悲惨と解釈するのも、結局は、あなたの心次第なのですかね」。

なるほど。

「真の知識を見分ける理性、すなわち分別知を育て、知恵を実践しなさい。真実と真実ではないもの、現実と幻想、偽りの自己と真の自己、神の性質と悪魔の性質、知と無知違いを知れば、たとえ無知が知恵を覆い隠し、お前を縛りつけようとしても、真の知識に照らされたお前は、解放されるだろう」

第8章 エゴ

謙虚になったとき、僕らは自分の無知を知り、柔軟に学ぶことができる。よく言われているとおり、学びを妨げる最大の要因は、自分はなんでも知っているという思い込みにある。そして、、その種の間違った自信の大元にあるのがエゴだ。

最近心に置いていること。常に謙虚、知っていてもその人から学ぶことがあると思うので、最後まで話を聞くようにしている。

自信ありげに見せ、知ったかぶりをするだけが、自他をだますためのエゴの戦略ではない。エゴは他者を貶すことさえもする。相手が「劣って」いると、自分は優越感に浸れるからだ。そのために、身体的特徴から、学歴、資産、人種、宗教、民族性、国籍、乗っている自動車、着ている服に至るまで、さまざまなものを基準に、自分と他者をランク付けする。相手を見下すためなら、自分との違いをいくらでも探し出す。

都心に住んでいること、このようなエゴを持っている人は多い。特に、年収、車、家賃、着ている服。わたしはあまり興味がないからいいけど、マウント取っている人を見ると、一緒にいたくないなって思う。

エゴが視野を狭くするのは個人に限った現象ではない。政府、学校、団体、閉鎖的なリーダーシップのもとにある集団は、自分たちが知らないものに目を向けることをしないから、やがて、エゴ手動の精神風土が出来上がる。議員は有権者と寄付先の獲得には躍起になるけれど、支援者以外の人々や、次の世代のことはお構いなしだ。教科書は勝者の歴史しか伝えない。団体や組織は、周囲で何が起きていようと、通常業務が至上命題になる。

諸外国の政治の状況は正直わからない。ただ、日本の政治家は既得権益の塊。高齢者も多く、本気で日本の未来を考えているようには感じられない。

無執着は感謝の念を呼び起こす。所有者意識を手放したとき、僕らは、今まで自分が何かを成し遂げられたのは、すべて他者の助けがあったからだと気が付く。両親、教師、コーチ、上司、そして本もそうだ。「独学」で学んだ知識やスキルでさえも、もともとは誰かの知識やスキルだった。

常に人間は謙虚であるべき。数年前のわたしならこんな気持ちになれなかったし、考え方も知らなかった。少し年上の友達が、常に謙虚であるべきだよ、と教えてくれていたことを今更ながら痛感しています。ありがとう。

他者の経験談を聞いていると、自慢話をしたくなる。自分のほうがよくも悪くも、それを超える経験をしたかのように話したくなる。そんな時は、相手の話にひたすら耳を傾け、理解し、ありのままに認める。相手の話に好奇心を示し、自分の話はしない。

たまに否定したうなるということもあります。そんな時は一呼吸置いて、相手の話をしっかりと聞き入れ、否定は絶対しないこと。

自尊心

他者の意見にフィルターをかける

自分自身と比べる

自分らしくあろうとする

誰からでも学ぼうとする

傷つきやすさもありのままに受け入れる

自分自身も他者を尊敬する

エゴ

他者の意見を気にする

他社と比べる

自分の正しさや力量を証明しようとする

何でも知っていると思い込む

強いふりをする

人に尊敬を求める

わたし自身も含め、皆さんも気をつけましょう。

パート3 与える

第9章 感謝 世界最強の薬

友人のアドバイス、ちょっとした親切、チャンス、教訓、新しい枕、大切なひとの健康回復、幸せな瞬間の記憶、ヴィーガン・チョコレートの詰め合わせ。あらゆるものに対する感謝の気持ちで1日をスタートさせれば、障害物ではなく、チャンスに出会う可能性が高くなる。

自分からいいことを発信したり、仲間にいいことをしていると、周りには不平不満を漏らす人もいなくなる。うん、先ずは普通に生活できることに感謝からはじめよう。

感謝の効果が測定できるなんて信じられないかもしれない。でも科学的に証明されていることだ。感謝は心の健康、自己認識、人間関係の改善し、充実感を高めることが、研究で判明している。

素晴らしい結果。何事にも感謝して生きていこうと思います。

地球に敬意を表す。僕らが今いるのはこの星のおかげだ。光があるから、ものが見える。地面があるから歩くことができる。空気があるから息ができる。

僧侶の朝の日課らしいです。
こころ中で案じているだけでも幸福度が増します。寝る前と起きた後、やっています。

塩は人生の苦しみなんだ。塩はつねにそこにある。小さな茶碗に入れれば、しょっぱくなるが、湖に入れれば、何の味もしない。お前が感覚を広げ、世界を広げれば、苦しみは小さくなる。茶碗にならず、湖になりなさい。

いい言葉。器を大きく持っていることも大事。

第10章 人間関係 人間観察

身体的要素
その人の見た目が好みである。容姿、服装、存在感に惹かれる。いっしょにいたいと感じる。
物質的要素
その人が成し遂げたこと、権力、それによってもたらされた所有物に惹かれる。
知的要素
その人の考え方に惹かれる。相手の話や考え方に刺激される。
感情的要素
馬が合う。自分の感情を理解してくれ、幸福度を高めてくれる。
スピリチュアル要素
魂のレベルで同じ目標や価値観をもっている。

人と付き合う時、どこを重しているのか自分に問いかけてみる。大半は感情的要素で友達を選んでいるような気がするね。

ハーバード大学が行ったグランド研究では、卒業生268人のその後を75年間にわたり追跡調査し、山のようなデータを分析した結果、人生の質を左右する要因は「愛」であると判明した。どれだけ成功の外敵要因、お金、キャリア、健康体、が揃っていても、愛情関係に恵まれない人は幸せはなかった。

要は有形遺産より、無形遺産の方が大事というデータですね。愛があって健康体が最強だと思っています。

僕らの多くは、古い経験を再現することに夢中になるあまり、新しい経験を迎え入れる余裕をなくしている。恋愛が始まるときは、あれほど熱心に、あれほど心を開いて、「新しい」思い出を作ろうとしていたというのに。愛が輝きを失わずにいられるのは、新しい思い出を重ね、ともに学び、成長し続けるときだ。

常に新しいことすることにより、アップデートされていく。過去に囚われず、未来に羽ばたくほうが楽しい。

第11章 奉仕 他者のために木を植える

僕らは、訪れた場所を来たときよりきれいにして去りたい。人々を、会った時より幸せにしたい。世界を、生まれたときより良い場所にしたい。僕らは自然の一部だ。そして、注意深く観察すれば分かるように、自然はつねに奉仕している。太陽は熱と光を与える。樹木は酸素と木陰をつくる。水は渇きを潤す。

当たり前にあるような環境がいかに幸せなのか。普通ということを幸福と思えるよう、毎日楽しみたい。

不安、抑うつ、孤独といった心の問題に悩む僕らのような現代人がいて、もう一方には、食料、衣服、住まいといった基本的な問題に苦しんでいる人々がいる。僕らの、心の問題は、物理的に恵まれない人々のニーズを満たす手伝いをすることで癒される。

世界的な極貧困を知ると、今ある生活が贅沢すぎるという現実にぶち当たります。効果的な利他主義を読んでから学び、全ては生まれた国でこんなにも生活基準が違うのとかと驚くばかり。

奉仕を中心に生きれば、愚痴をこぼしたり、誰かを批判したりする暇はなくなる。
奉仕を中心に生きれば、恐怖に入り込み余地はなくなる。
奉仕を中心に生きれば、感謝の念が強くなり、物への執着が薄れる。
奉仕は意味ある人生に直結する道に他ならない。

いいことだらけのようには書いてありますけど、実際ここまでのマインドに持ってくるには訓練と時間が必要です。少しずつでもいいので、実践あるのみ。

教えてくれて、ありがとう。

読み終えて

モンク・マインドというものを手に入れたかどうかは、正直わかりません。読んでだけで何でも実行できたり思考の変化を継続するのは簡単ではない。

ただ、きっかけをもとに少しずつ今ある生活と健康に感謝しつつ毎日生活していこうと思っています。夜寝るとき、目を瞑って『今日も一日ありがとう』。朝起きたとき、『今日も一日よろしく」。心の中で唱えているだけで、とても穏やかに過ごせることを実感しています。

僧侶の思考とまでは言わないけど、近づけるよう日々生活を送っていきたます。

素晴らしい本なので、一度手のとって読んでみてください。

あなたの生活が激変しますよ!

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