【Humankind 希望の歴史 人類が善き未来をつくるための18章 上下】あなたはホッブス派?ルソー派?

【Humankind 希望の歴史 人類が善き未来をつくるための18章 上下】あなたはホッブス派?ルソー派? 趣味・娯楽

こんにちは、リョウです。

【Humankind 希望の歴史 人類が善き未来をつくるための18章 上下】を読みました。かなり分厚い本で、いささか躊躇したくなりましたが、読み始めたら止まらなくなり、あっという間に読破。オランダ人33歳の若き著書、歴史家でありジャーナリストである彼が書いた内容を一言で伝えると、『人間は善である』。ホッブスとルソー、右と左の考え方があるのは考古学者の中でも多く唱えられてきたが、新資本主義として真実が描かれていて、頷くばかりの内容でした。

中でも、私が勉強になったことを引用して、そのことについて自分なりに簡素にまとめた記事になります。

参考になるか、ならないかはわからないけど、自分の知識として勉強のためにまとめてあります。

長くなりますが、最後までしっかり勉強していきましょう。

Humankind 希望の歴史 人類が善き未来をつくるための

Humankind 希望の歴史 上巻

【Humankind 希望の歴史 人類が善き未来をつくるための18章 上下】あなたはホッブス派?ルソー派?

ロンドン大空襲についての記憶はいずれも、その数ヶ月間、ロンドンは妙な静けさに包まれていたと語る。あるアメリカン人ジャーナリストは英国人夫婦の家を訪れキッチンでインタビューした。空襲で窓ががたがた音を立てているのに、夫婦は静かにお茶を飲んでいた。「怖くないですか」と尋ねると、「少しも」と夫婦は答え、こうも続けた。「怖がったところでどうしようもないでしょう」

第二次世界大戦のもと、1939年10月のヒトラーが英国に攻撃した後のインタビュー記事。英国人は実際はそんな覚えておらず、むしろ開きおなって生活をしていたそうだ。空襲で破壊されたデパートが「営業中。本日から入り口が拡張されました」とユーモアあふれるポスターを張ったのは有名な話。

右派か左派か、裕福か貧しいか、学歴が高いか低いか、そうしたことは関係なく、皆、同じ間違いを犯す。

人間は本質的に利己的で攻撃的で、すぐパニックを起こす、という根強い神話がある。オランダ生まれの生物学者フランス・ドゥ・ヴァールはこの神話を「ベニヤ説」と呼んで批判している。「人間の道徳性は、薄いベニヤ板のようなものであり、少々の衝撃で容易に破れる」という考え方だ。真実は、真逆である。災難が降りかかった時、つまり爆弾が落ちてきたり、船が沈みそうになったりした時こそ、人は最高の自分になるのだ。

これは、ニュースや情報が悪であったということにもなる。国民や市民が驚くようなことを書いたり報道した方が数字すが取れるという、ホッブスの神話から今に至るまで受け継がれている。

組織化された文化的生活の基本的要素である食料、避難所、飲料水、最小限の安全が奪われると、人間は数時間以内にホッブスが唱える自然状態に戻ってしまう。すなわち、万人の万人に対する闘争という状態だ・・・。一時的に天使のようになる人もいないではないが、大半の人はサルに戻る。

2005年8月29日、ハリケーンカトリーナがニューオーリンズを襲った出来事について、専門家が述べたこと。米国史上最も破壊的な自然災害の一つとして報道され、1週間後にはニューオーリンズでレイプ、強盗、うろつくギャング、略奪行為、恐ろしい話を報道。しかし、実際はそのような事実はなく、飢餓で亡くなった人や麻薬中毒者と極めて少なかったが、事実として報道されなかった。

大災害は人々の善良さを引き出す。この社会学的発見は、数多くの堅牢(けんろう)な証拠があるにもかかわらず、きわめて軽率に無視されてきた。そして災害が起こるたびにメディアは逆のイメージを人々に植えつけた。

新型コロナウイルスも同じようなことが言える気がします。死亡者数は極めて低い日本において、自粛の呼びかけた挙句、経済が回らず若者の自殺者数は増加。未来を担う若い世代を無視して、高齢者を守る日本の政治やメディアには不満しかない。

「コカ・コーラ事件」は同社の107年の歴史で史上最悪の打撃となり、ベルギーで1,700万ケースの清涼飲料水が店頭から回収され、在庫も全て廃棄された。最終的に、コストは2億ドルを超えた。

ベルギーの学校で起きた出来事。実際は毒物も検出されず、原因と言える化学物質は見つからなかった。プラセボ効果ではなかったのか?と、今でも謎は解けていない。

プラセボ効果について考えてみよう。もし、主治医があなたに偽薬(プラセボ)を渡して、これで病気が治る、と言えば、あなたの具合が良くなる可能性は高い。プラセボは大掛かりになればなるほど、その可能性は高くなる。

コカ・コーラ事件では集団心因性疾患に感染したのだ。わかりやすくいうと、彼は病気になったと想像したのである。

おじいさんが孫の男の子に語って聞かせた。「わしの心の中には、狼が二匹住んでいる。この二匹は激しく戦っている。一匹は悪いオオカミだ。短期で、欲張りで、嫉妬深く、傲慢で、臆病だ。もう一匹は善いオオカミだ。平和を好み、愛情深く、謙虚で、寛大で、正直で、信頼できる。この二匹は、おまえの心の中にでも、他のすべての人の心の中でも戦っているのだよ。」孫は少し考えてから尋ねた。「どっちのオオカミが勝つの?」
「それは、おまえが餌を与えた方だ」

子供への教え方として、とてもわかりやすい表現なので使わせていただきます。
善と悪、どちらを優先すべきは自分次第なんだよね。

少しの間、想像してみよう。新しい薬が市場に出る。その薬は中毒性が高く、誰もがすぐ夢中になる。科学者は調査して、その薬は「リスク誤認、不安、気分低下、無気力、他人に対する軽蔑と敵意、感情の麻痺を引き起こす」という結論を下す。
この薬をわたしたちは使おうとするだろうか。子どもたちが摂取するのを許すだろうか。政府は認可するだろうか。答えはイエスだ。なぜなら、その薬はすでに、現代の最大の依存症の一つを引き起こしているからだ。わたしたちは毎日摂取し、多額の助成金を受けていて、子どもたちに大量に配られる薬。その薬とは、ニュースである。

すごく納得させられて内容である。数年からテレビは廃棄したので、テレビ番組をみなくなった。くだらない情報番組やバラエティー番組、新型コロナ騒ぎでは同じことを繰り返し伝えて視聴率を確保。テレビ、ネットニュースはフェイクだらけなので、能動的に活動しなければならない。

数年前、ある調査で30カ国の人に簡単な質問をした。「全体的にみて、世界は良くなっているか、悪くなっているか、良くも悪くもなっていないか?」という質問だ。ロシア、カナダ、メキシコ、ハンガリーに至るまで、どの国でも圧倒的多数が、世界は悪くなっていると答えた。現実は反対だ。過去数十年の間に、極度の貧困、戦争の犠牲者、小児死亡率、飢餓、児童労働、自然災害による死、飛行機墜落事故はすべて、急激に減少した。

なぜそのような答えに至ったのか、答えは簡単だ。ニュースのなるのは例外的な出来事ばかりだからである。マスコミは殺人事件、戦争など非現実的に起こったことを大々的に報道しているから、視聴者は多いと錯覚してしまうのでしょう。

このデジタル時代にあって、私たちが聞かされるニュースはますます過激になっている。昔のジャーナリストは個々の読者のことをほとんど何も知らなかった。彼らは大衆のために記事を書いていた。しかし、フェイスブックやツイッターやグーグルの背後にいる人々はあなたのことをよく知っている。彼らは、何があなたを怖がらせ、驚かせ、クリックさせるか知っている。どうすればあなたなお注意を引けるか知っていて、きわめて儲かるパーソナライズ広告をあなたに送っている。

広告は基本クリックしないし、フェイスブックもやめました。ただ、GAFAの力がすごい事は証明済なので、大半に人はこれらに支配されている。
情報をしっかり選ばなければない。

ヒュドラはギリシア神話に登場する怪物で、九つの首を持ち、ヘラクレスが一つの首を切り落とすと、二つの首が生えてくる。

ゲームの世界だ。
一応、覚えておこうという意味でメモ。

ホッブスとルソーの話。
仮にあなたがこの二人の名前を聞いたことがなかったとしても、彼らの正反対の見方は、この社会の最も深い分裂の源になっている。これほど強く広範に影響した論議を、わたしは他に知らない。選ぶべきは、厳しい処罰か、手厚い福祉か。少年感化院か、芸術学校か。トップダウン経営か、権限を持つチームか。一家の稼ぎ手としての父親か、育児に熱心なパパか。あなたが思いつくほどすべての議論が、元をたどればホッブスとルソーを対立にさかのぼる。

右派か左派か。
この本の著者は、ジャーナリストとしてルソーの考えが人間の根本にあると主張しているし、わたし自身もそうであって欲しいと思い込む。

遠い昔、わたしたちは自由だった。好きなことは何でもできたが、その結果恐ろしいものだった。自然状態における人間の生活は、「孤独で、哀れで、おぞましく、野蛮で、短い」ものだった。彼は理由をこう説明する。なぜなら人間は恐怖によって動かされているからだ。他者への恐怖。死への恐怖。人間は安全を切望し、「永続的で止むことのない、力への欲求に翻弄される。その欲求は死ぬまで続く」その結果は?ホッブスによれば「万人の万人に対する闘争」である。

有名な言葉であり、今でもずっと語り継がれているホッブス信者。全ては宗教なんだけど、悪い方向へに捉えるということに疑問を抱くべきではないか?

呪われた文明社会が誕生して以来、物事は間違った方向に進み始めた、とルソーは主張する。農業、都市化、国家。それらは人間を混沌から救い出すどころか、人間を奴隷にし、破滅へと向かわせた。書物と印刷技術が事態をますます悪化させた。「活版印刷のせいで、ホッブスの危険な夢想は、永遠に残るだろう」とルソーは書いた。

上で書いたことと同じ内容。
わたしはルソーの思想を信じている。

人類について最初に理解するべきことを一つ、進化的に見れば、わたしたちはほんの赤ん坊だということだ。つまり人間は、種として誕生したばかりなのだ。地球上の生物の40億年におよぶ歴史を1年に置き換えてみよう。10月中旬まで、バクテリアは地球上を占領していた。11月になってようやく、わたしたちが知る生物が現れた。脳と骨をもつ動物や、蕾と枝をもつ植物だ。
そして人類は?わたしたちが登場したのは12月31日の午後11時ごろだ。その後の約1時間を、狩猟採集民としてすごし、午後11時58分にようやく農業を発明した。

今の生活は人類単位で考えると、ほんの一瞬。建物も自動車もロケットも午後11時59分くらいにできているそうです。

人間とバナナは、DNAの60%が同じで、人間とウシは80%が同じだ。そしてチンパンジーとは99%同じなのだ。ウシが人間の乳を搾るのではなく、人間がウシの乳を搾り、チンパンジーが人間を檻に入れるのではなく、人間がチンパンチジーを檻に入れるという状況は、決して当たり前の成り行きではなかった。

1パーセントの差が何だったのか。そして、バナナと60%もDNAが同じとは驚きました。

進化の基本的な要因ははっきりしている。必要なのは、以下である。
多くの受難。
多くの苦闘。
多くの時間。

動物の進化論の表現だけど、自分自身が成長する上でも同じことが言えると思うのでメモ。

結局のところ人間は超社会的に学習機械であり、学び、結びつき、遊ぶように生まれついているのだ。だとすれば、赤面するのが人間特有の反応なのは、それほど奇妙なことでもないだろう。

わたしたちが互いの目を見るときにも、似たようなことが起きる。それは人間の目には白い部分があるからだ。これも人間だけにみられる特徴であり、おかげで、他者の視線の動きを追うことができる。霊長類は200種類以上いるが、人間以外は皆、白目の部分(強膜)に色がついている。サングラスをかけたポーカープレイヤーのように、これが彼が視線の動きをわかりにくくしている。

超社会的に学習したことによって、人間がチンパンジーを檻に中に入れることができたのでしょう。

強膜部分のこと、はじめて知りました。メモ。

現在でも米国の大企業の60%は、何らかの形のランク・アンド・ヤンクシステム(昇進と処罰)を採用している。2008年のリーマンショック後、ジャーナリストのヨリス・ライエンダイクはロンドンの金融サービス部門を「万人の万人に対する闘争というホッブス流の世界」と評し、「その特徴は、下品で、残忍で、長続きしない人間関係である」と語った。同様に、組織的に従業員を競い合わせる手法は、アマゾンやウーバーなどでも使われている。ウーバーのある社員は匿名でこう語った。「(ウーバーは)ホッブス流のジャングルであり、他の誰かが死なないかぎり出世できない」

アメリカは実力主義ということは聞いていたので、特段驚く数字でもありませんでした。世界一位の経済大国といういうだけあり、能動的に動けない人や結果を残せなかった人には厳しいということ。比べて、日本は生温湯に浸かっているということでしょう。さぼって寝ていても給料が入ってくるのだから。

孤独が人を病気にするのは、少しでも不思議ではない。人との接触が少ないことの害が1日タバコ15本吸うのに匹敵するのも、ペットを飼うと鬱になるリスクが減るのも、不思議ではない。人間は、他者との一体感と交流を何よりも欲する。

歳をとってからひとりになってしまうと、ボケたりするのが心配。特に、親が60歳を超え、再雇用で働いているものの、趣味も少ないので何をするのか。。。
わたし自身も交流していこうと思っています。

最初は太平洋戦争で、次はヨーロッパ戦争で、兵士たちとのグループインタビューを重ねるにつれて、戦場で銃を撃ったことのある兵士は全体の15〜25%しかいないことを知った。決定的瞬間に大多数の兵士はしりごみしたのだ。

まさに、戦争映画に囚われすぎている。実際は銃で亡くなった人は数%しかおらず、その後の調査でも、別の戦争で銃を発砲している兵士は少なかったという。
実際は、ルソーの考えが人間の本質なのだ。

しかし、ハリウッド映画によって作り上げられた暴力のイメージと現実の暴力は、ポルノと現実のセックスが違うのと同じくらい違う。科学が語るのは、暴力に伝染力はなく、暴力はあまり長くは続かず、決して容易ではない、ということだ。

実際の戦争を体験したことはないけれど、ポルノとセックスのイメージだとわかりやすい。

科学者が人間はキラーエイプだと述べると、メディアはその研究に飛びつくが、科学者が逆のことを主張した場合は、ほとんど誰も耳を貸さない、というパターンである。
それを知って、わたしはこう考えた。わたしたちは、ホラースペクタルクに惹かれるせいで、見誤っているのではないだろうか。科学の真実は、ベストセラー小説や頻繁に引用される論文がわたしたちに信じさせようとするシナリオとは異なるのではないか。

争い事の方がニュースとして取り上げやすいし、視聴者は釘付けになり視聴率が取れる。
ホッブス的な考え方の方が需要があるということ。

狩猟採集民は非常に安楽な生活を送っていて、1週間の労働時間は多くても、平均で20〜30時間だったことを人類学者は突き止めた。それだけ働けば十分だった。自然は彼らが必要とするものを全て与えてくれたので、のんびりしたり、たむろしたり、セックスしたりする時間はたっぷりあった。
対照的に農民は、大地を耕し、作物を育てなければならないので、のんびり過ごす時間はほとんどない。働かなければ、食べるものはない。

会社員は1日平均8時間は働き、プラスして通勤をこなして10時間は拘束されている。食費、家賃(もしくは住宅ローン)、保険、税金なども払うために仕事をしていることに疑問を抱き始めているわたしです。物理的に働かなければならないけど、今は息子との時間を優先して生活を楽しんでいます。

麻疹、天然痘、結核、梅毒、マラリア、コレラ、ペストなどの感染症は、農業が始まるまで、人間社会に存在しなかった。では、どこから来たのだろう。人間が新たに飼い慣らしたペットからだ。より正確に言えば、それが宿していた病原菌からである。麻疹は、ウシのウイルスから分かれて出現した。インフルエンザは、人間とブタとカモの微細な「三角関係」から生まれた。
性感染症も同様である。狩猟採取民の時代にはほとんど存在しなかったが、牧畜をするようになると流行しはじめた。なぜだろう?その理由はかなり恥ずかしいものだ。家畜の飼育を始めたとき、人間は獣姦を思いついた。つまり、動物とのセックスだ。世の中のストレス増えるにつれて、農民の中にはこっそり羊や山羊を犯すものが現れた。

新型コロナウイルスもそうだけど、今後ますます新しい病原菌は出てくる。現に毎年出ているそうで、ペスト並みの致死率を持った菌だったら防護服着て生活するしかなくなるだろうな。

希望の歴史(下)

テロリストの特徴は、高等教育からほぼ無教育まで、富裕層から極貧まで、思慮深さから愚かさまで、信教心から無神論まで、極めて幅広かった。精神疾患者もほとんどおらず、幼い頃にトラウマを負った者もまれだった。もしテロリストに共通して見られる特徴が一つあるとすれば、それは影響されやすい。家族や友達に、正しいことをしているとみられたいし、そう思われることを行いたい。

イスラムやISも最近はメディアに取り立たされているけど、宗教の問題や過去の戦争から仲間意識が強くなって起こっていることがほとんど。悪い人ではなく、逆に信頼できる人なのかもしれない。

過去一万年の数億人もの戦争犠牲者をどう説明をどう説明すればいいのだろうか。彼らはどのようにして死んだのか?この問いに答えるには、法医学的な検査が必要とされる。例として第二次世界大戦で亡くなったイギリス人兵士の死因を見てみよう。

その他 1%

化学攻撃 2%

爆風 圧死 2%

地雷 ブービートラップ 10%

銃弾 対戦車地雷原 10%

追撃砲 手榴弾 空爆 砲弾 75%

ほとんどが遠隔操作によって死亡していることがわかるデータになる。
別の引用でも書いたけど、実際は銃撃はほとんどしてないし、むしろ敵同士仲良く過ごしていたなんてことものちに紹介されている。

「一般的に男は恩知らずで、浮気性で、内心を隠し、偽善的で、臆病で、強欲だ」誰かが親切にしてたとしても、騙されてはいかない。それはペテン師だ。なぜなら「男は、自分にとって必要でない限り、何一つ良いことはしないからだ」

有名な君主論によって書かれていることである。都内に住んでいると、確かにこのように人を疑ったりすることも少なくないが、決してそうではないと思っている。
家族や仲間には損得なく付き合っている。

とある実験で車が高級になればなるほど運転が荒くなったというデータがある。権力を握る人にも、同じ傾向が見られる。彼らは脳を損傷した人のような行動をとる。普通の人より衝動的で自己中心的で落ち着きがなく、横柄で無礼。浮気する可能性が高く、他人よりその気持ちにもあまり関心がない。加えて彼らは厚かましく、人間を霊長類のなかで特別な存在にしている、顔の現象を往々にして喪失している。

誠実で真摯にいないと、いずれか権力は破綻する。
ワンマン経営もときには必要かもしれないけど、人の意見を聞いて参考にしたりしないとダメだということ。

権力は腐敗しがちだ。そして絶対的権力は、絶対的に腐敗する。

肝に銘じておこう。

ゴリラやチンパンジーの群れを見るといい。ゴリラの群れには独裁者のシルバーバックがいて、すべて決定し、ハーレムを作ってメスを独占する。チンパンジーの群れでも、リーダーはその地位を維持するために懸命に努力する。リーダーになるのは、最も強く、連盟の形成に最も長けたオスだ。

日本に住んでいる限り、これらの群れに遭遇することはないけど、人間とDNAがほとんど同じだけあり権力を持ちたがるんだね。

人間の脳が有意義な人間関係を築けるのは150人が限度だということが示唆する。

150人って、広く浅くな印象。わたしの場合は10人から20人で狭く深く付き合っています。

皆さんは、現在、少なくとも退屈な官僚制度を備える整然とした民主主義諸国においては、暴力はもはや大きな役割を果たしていない、と考えるかもしれない。だがそれは誤解だ。暴力の権威は依然として依存し、むしろ蔓延している。暴力の権威があればこそ、子どもがいる家庭も、ローンを支払えないと家を出て行くしかない。暴力の権威があればこそ、移民はわたしたちが「ヨーロッパ」とか「アメリカ」と呼ぶ架空の国の国境を越えることができない。そして、暴力の脅威があればこそ、わたしたちは貨幣を信じ続ける。

給料と引き換えに、オフィスに週40時間も閉じ込められている時点で暴力となるのとのこと。会社員をやっていないし、サラリーマンを一度やったことあったけど性に合わなくて二日で辞めたことを思い出した。

世界中の人々が、族長や王が登場した後も、リーダーを抑制する方法を探し続けたことだ。その明白な方法の一つは革命だ。フランス革命(1789年)からロシア革命(1917年)、アラブの春(2011年)に至るまで、あらゆる革命は、同じ目的に支えられていた。大衆は暴君を倒そうとしたのだ。

権力は腐敗するのと同じ。中国共産党、北朝鮮国家主席、この二つがいつ大衆によって滅びるかが気になる。

庶民が政治で積極的な役割を果たすことを、建国の父は理解していなかった。今でさえ、市民は誰でも公職に立候補できるが、献金者とロビイストの貴族的ネットワークのつながりがなければ、選挙に勝つには難しい。アメリカの「民主主義」に王朝的な傾向が見られるのは当然だ。ケネディ家、クリントン夫婦、ブッシュ父子について考えてみよう。

市民と政治家では住む世界が違うということは明白。国民の意見より、既得権益者を優勢している日本の政治は腐敗に向かっている。

ほんの200年前には、どの国でも、わずかなエリート層をのぞくと、極度の貧しい生活を送っていた。今日、そうした生活を送るのは世界人口の10%以下だ。また、わたしたちは感染症の大半を克服した。加えて、ニュースを見ていると、そう思えないかもしれないが、この数十年で、子ども死亡、飢餓、殺人、戦死者の割合は、みごとなまでに急落した。

圧倒的な数値として出ているので間違いなしでしょう。わたしも子どもが生まれてから調べると、昔は子ども死亡がかなり多かったと知りました。医療が発達し、死亡率も大幅に改善されている。

1637年にオランダではチューリップバブルが起きて、球根一個が、熟練職人の年俸の10倍以上の価格で売買されたが、まもなくこのバブルがはじけて、球根は無価値になった。

時代によって、その時々のはやりもあるし、世界情勢で価値が変わってくる。

仮想通貨バブルも一度弾けたけど、今徐々に熱を帯びているから、これは当たり前になるのかな?

ホモ・パピーに苦手なことが一つあるとしたら、それは集団に抵抗することだ。

大衆に従っているほうが楽という捉え方もあるし、いちいち抵抗しても意見が通らなかったりする。自分で考え、自分で行動するのが1番。

道徳的な理由と経済的な理由。

言葉の使い方としてメモ。

手術数の応じて報酬を得ている外科医は、治療の質より、手術の数を重視する。弁護士の給与を勤務時間に応じて支払う法律事務所は、よりよく働くよう弁護士を推奨しているのではなく、より長く働かせるだけだ。共産主義と資本主義のいずれのシステムにおいても、数の重視は、働く人のモチベーションを下げる。

資本主義経済においてのメモ。従業員を雇ったときのモチベーションの有無として参考になると思う。

人口の大多数(74%)が、富や社会的地位や権力よりも、思いやりや正直さや正義感といった価値観により共感することがわかった。しかし、ほぼ同じ割合(78%)の人が、「他者」は自分本位だと考えていた。

上の話の結果、やりたいこととやりたくないことがはっきりしていることが分かった。他者は自分本位と考えているということは、自分自身も自分本位だからなのでは?とも同時に考える。

142カ国の23万人を対象とする大規模な研究では、仕事に「没頭している」と実感している人はわずか13%だということが明らかになった。どれほど多くの野心とエネルギーが無駄遣いされているかがわかる。

13%の中の職種が知りたい。学者、科学者、スポーツ選手、飲食店職人、企業オーナー。どのジャンルに1番多かったのか。。。

現場の人たちはアイデアに溢れている。彼らは千のアイデアを思いつくが、マネージャーは耳を貸さない。なぜならマネージャーは、会社の保養所に行って、働きバチのためのプランをひねりだすのが自分たちの役目だと、考えているからだ。」

飲食店でアルバイトしているときに感じたこと。中間管理職は現場の見回りに来て売上のチェックをするだけ。お客の情報や状況にはめもくれず、巡回しているだけに見えた。

「ものごとを難しくするのは簡単だが、ものごとを簡単にするのは難しい」。マネージャーが複雑さを好みことは、記録がはっきり語る。「その方がマネージャーの仕事は面白くなるからだ」。「それにこの複雑なものをどうにかするには、わたしの助けが必要だ、といえるからね」。

ものごとを簡単に考えるようにすること。それが大事である。

子どもたちは内発的動機は、組織的に抑えられてきた。大人は宿題や運動競技、音楽、演劇、個別指導、模擬試験といった無限にも思える活動で、子ども時間を埋め尽くした。このことは、ある活動のための時間が少ないことを意味する。その活動とは、遊びだ。

子どもが生まれてからずっと考えていることが、書かれていて驚いた。都心に住んでいると、遊ぶ場所も限られるし、ボール遊びもだめ(?)な場所があるとか。昔はそんなことなかっただろうに。
田舎に住んで、子どもが赴くままに思いっきり楽しませてあげたいと、心から思っている。

1971年には、英国の7歳と8歳の子どもの80%は、自分で歩いて学校に通っていた。現在、そうしているのは、わずか10%だ。10カ国の12,000人の親を対象とする最近の世論調査から、大半の子どもは、屋外で過ごす時間が受刑者より短いことが明らかになった。ミシガン大学研究所によると、1981年から1997年までの間に子どもが学校で過ごす時間は18%増えて。宿題に費やす時間は145%増えて。

驚異的な数字。わたしは宿題をやる意味がわからなかったし、やりたくもないことをやらされていた。

すべてが事前に作られていたら、好奇心や想像力を育むことはできるだろうか。退屈はおそらく創造性の源である。「創造性を教えてることはできない」と、心理学者のピーター・グレーは書いている。「できるのは、開花させることだけだ」。

何もない場所で遊びを考えたりさせたいな。

当人が重要ではないと思う仕事」は、銀行や法律事務所や広告代理店のような民間企業に集中していることをデータで語る。わたしたちの「知識経済」の基準からすると、これらの仕事に就く人は成功者と定義づけられる。(37カ国27,000人の労働者を対象にして、回答者の4分1の答え)

確かに不要だなっと常々感じていました。

「学校とは、社会は今のままでいいとあなたに信じさせる広告代理店だ」

面白い例え。

問うべきは、子どもは自由をうまく扱うことができるか、ではない。
わたしたちは子どもに自由を与える勇気を持っているか、である。
かつて心理学者のブライアン・サットン=スミスは「遊びの逆は仕事ではない。うつ病だ」

遊びの逆はうつ病。。。面白い。

世界の民主主義は少なくとも7つの問題に苦しめられている。
徐々に腐敗する政党。互いを信頼しない市民。排除される少数派。政治への関心を失った有権者。墜落した政治家。税金を逃れる金持ち。近代民主主義は不平等だという認識の高まり。

排除はされてはいないけど、少数派として生きています。まっ、資本主義なので税金を搾取されるような場所にはいたくないというのが正直なところ。

共産主義は、無秩序、貧困、さらには悪いこと、大虐殺をもたらすのだ。レーニンやスターリン支配下の支配下のソビエト連邦を見てほしい。毛沢東支配下の中国を。ポル・ポト支配もとのカンボジアを。

今の中国がいつ滅びるのか気になるけど、本当に習近平が倒れるのか?

この気前の良さの最たる例は、家庭だろう。世界中の数十億の過程が、共産主義者の原理に基づいて営まれている。親は所有物を子どもと共有し、可能な限り子どもに貢献する。ここに「経済(economy)」という言葉が生まれる。」

共産主義国家ではない日本でも、普段の生活では基本共産主義にならって生活している。

ノルウェーでも再犯率は世界で最も低いのは、偶然ではない。対照的にアメリカでは、受刑者の60%が2年以内に刑務所に戻るが、ノルウェーではその数字は20%だ。

ノルウェーの刑務所はアットホームですごく居心地が言いそうです。受刑者を受刑者として扱うのではなく、一緒に食事したりすることで心を穏やかに過ごして再犯率はぐんっと下げる。コスト面は高くつくようだが、再販率を考えると結果費用対効果はテキメンとのこと。

1990年2月11日、27年間の、獄中にあったネルソン・マンデラが解放された。

映画でみました。私が生まれて3年後の出来事だったんですね。

今、その武器になっているのは、ソーシャルメディアやオンライン・フォーラムだ。わたしたちは恐怖、無知、疑念、固定概念に導かれるまま、まだ会ったことのない人々に偏見を抱く。

実際に会って話すと、皆いい人だとわかるんですよね。

時々は騙されるという事実を受け入れたほうがはるかにいい、と彼女はいう。なぜならそれは、他人を信じるという人生の贅沢を味わうための、小さな代償だからだ。

すごく深い。これには感銘を受けました。

「自分がしてもらいたいと思うことを他人にしてはいけない。その人の好みが自分と同じとは限らないからだ」

個々の判断は難しい。人の気持ちはわからないけど、日本人的な思考だといろいろやってあげる人が多い気がする。。。

私たちの社交的本能は、時として、真実と公正さの妨げになる。考えてみよう。わたしたちは、誰かが不当な扱いを受けているのをみても、面倒な人間だと思われたくなくて、口をつぐむことはないだろうか。平穏さを保つために、言いたいことを飲み込むことはないだろうか。権利のために闘う人々を非難したことはないだろうか。」

同調圧力的なものだよね。絶対的権力者が言ったことには従わなければならない。反発しまくって、結局一人ぼっちになったけど、貫き通すと同士が増えました。

ニュースは人々を、政治家、エリート、人種差別主義者、難民といったグループにくくりがちだ。なお悪いことに、ニュースは往々にして「腐ったリンゴ」に焦点を絞る。
ソーシャルメディアについても同じことがいえる。少数の不良が遠くで叫んだヘイトスピーチが、アルゴリズムによってフェイスブックやツイッターにフィードの上部にプッシュされる。これらのデジタル・プラットフォームはわたしたちのネガティビティ・バイアスを利用して儲けていて、人々の行動が悪くなればなるほど、利益が増える。

SNSはほとんどやめました。意味のない情報と投稿をみていると、フラストレーションが溜まってしまい。。。
早めに辞めて良かった。

自分の体に与える食べ物と同じくらい、心に与える情報についても慎重になる。

まさにその通り。肝に銘じています。

【Humankind 希望の歴史 人類が善き未来をつくるための18章 上下】あなたはホッブス派?ルソー派?

長くなりましたけど、とても勉強になる思考の話でした。正解がないからこそ、今でもこのような話が解き明かされるということもあるかもしれませんが、実際人間はルソー的な思想を持っていると信じています。

争いは結局私有財産制ができてしまったことが原因だけど、先進国だけの話であり、貧しい国は生きていくだけでも精一杯ということを念頭におくことができれば、争い事をしようとも思わない。

平和で豊かな心をもって生活していきます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました