【ゲンロン戦記】を読んだ感想。話題性に飛び込まない思想を学ぶ

【ゲンロン戦記】を読んだ感想。話題性に飛び込まない思想を学ぶ 趣味・娯楽

こんにちは、リョウです。

久しぶりに本の紹介をします。

東浩紀氏の【ゲンロン戦記】という本なんですけど、こちら個人的に納得させられる要素が多く勉強になりました。

東浩紀氏の2010年から2020年、会社を起こしてからの実際に起こった出来事を赤裸々に綴っているのですが、とにかく大変で苦労に苦労を重ねている。

これから会社を立ち上げて起業したい人はみないほうがいいようにも感じますけど、リスクを熟知しておくのもアリかなと。

私が読んで勉強になった言葉や文章を箇条書きし、文章に対しての主観を書いています。

最後まで読んでいただける、幸いです。

【ゲンロン戦記】印象に残った言葉・文章

①SNSが普及することともに、言論においても文化においても、また政治においても、しっかりとした主張のうえで地道に読者や支持者を増やしていくよりも、いまこの瞬間に耳目を集める話題を打ち出して、有名人やスポーツ選手を使って「炎上させる」ほうが賢く有効だという風潮になっていったことです。そのような戦略は短期的・局所的には有効かもしれませんが、長期的・全体的には確実に文化を貧しくしていきます。

体に取り入れる食べものと同じで、情報も気もつけないととんでもない方向性に思考が働いてしまことを最近勉強しました。
ポジショントークで成り立っているような、インフルエンサーの方々の投稿は自己処理能力があるのなら見てもいいけど、結果SNSはやめて見なくなりました。

②(東日本大震災の福島第一原発事故事)
福島では事故後、鼻血と原発事故を結びつけるひとや、子どもの甲状腺がんを恐れるひとがたくさん現れました。ぼく自身は鼻血は放射能と関係ないと思うし小児甲状腺がんについても、チェルノブイリとは異なり福島の事故では有意な見られなかったと考えています。

ちょうど10年前の出来事。
当時学生卒業してから、とんでもない津波の映像が流れ、その後福島第一原発問題。福島の子供らは、地方に転向したはいいけど、差別的ないじめにもあったと書いてありました。
実際、みてはないですけど、排他的行為はSNSによって生まれた要素も強いと感じています。

③ ぼくはよく、コミュニケーションでは「誤配」が大事だということを言います。自分のメッセージが本来伝わるべきではないひとにまちがって伝わってしまったこと、ほんとうなら知らないでもよかったことをたまたま知ってしまうこと。そういう「事故」は現代ではリスクやノイズと捉えられがちですが、ぼくは逆の考えかたをします。そのような事故=誤配こそがイノベーションやクリエーションの源だと思うのです。

「リスク」「ノイズ」は経験していかないとわからないというか、今は失敗すること=悪いこと、と世間では認識されているのが一番の問題な気がします。
子供ころは失敗してよくて(育て方次第では親に怒られる子供多そうですけど)、大人になったら失敗してはいけないというイメージが文化として根付いている気がする。
教育問題に原因があると感じました。

④ いまは合理性や効率がとても大切とされている時代です。魅力的なわかりやすいスライドとともに、ファクトとエビデンスを提示し、社会問題を解決するスマートな提案を数分で話す。そういうコミュニケーションがもてはやされています。

インターネットとSNSが盛んになり、昔に比べたら情報収集は早く楽にできるようになりました。その分、フェイク情報もあるし、他人から引用したような写真も多い。
飲食店情報もそうですが、感じかたはそれぞれなので、自分で足を運んで体験するということが必ず大事。
おいしい、おいしくない、はひとそれぞれですからね。

⑤ TBSのラジオ番組のキャッチフレーズに、「知る→わかる→動かす」というものがありますが、あの言葉は、そのような合理的な精神のありかたをうまく表現しています。しかし、本書の冒頭で語ったように、ぼくはこの10年ですっかりそういう理想対して懐疑的になってしまいました。震災後の日本で、「知る→わかる→動かす」のサイクルは機能したのか。トランプ大統領の誕生はどうか。あるいはコロナ禍下の現在の混乱はどうか。SNSの情報が増えれば増えるほどひとはフェイクニュースやポストトゥルースに飛びつくようになるし、「なにが合理的か」をめぐって非合理的な争いをするばかりです。そういう光景を見て、ぼくは「知る」と「わかる」と「動かす」だけではダメだと考えるようになりました。現実には世の中の問題は複雑で、長い歴史があったり利害関係が込み入ったりして、「知れば知るほどわからなくなる」ことや「わかればわかるほど動けなくなる」事が多い。その状況で問題を単純化して強引に社会を動かそうとすれば、かえって状況が悪くなることもある。ほんとうは「知る」と「わかる」のあいだに、そして「わかる」と「動かす」のあいだに、「考える」というクッションが必要なのです。

うえの話の延長戦ですけど「考える」というか「思考力」を高めていかなければ、今後自分がなくなり惑わされて生きていくしかなくなる気がする。
SNS開けば、たくさん情報が入ってくりし、コロナ禍でメディアが煽っていることも分からず怯えている人も多い。しっかりとしたエビデンスやファクトがあるということも頭に入れて、勉強する行為は怠らないほうがいい。

⑥ スクールにくるひとの多くはプロになりたいのだと述べましたが、現実問題としてはプロになれるひとはごく少数です。これはゲンロンスクールのだけの問題ではありません。教育全体の問題です。どんな分野でも、才能があって、好きなことを仕事にできるひとは100人か200人に1人です。
教育というのは、一歩まちがえれば、自己啓発系の詐欺行為になる危険性を常に抱えているわけです。

バスケットボールをやっていましたが、プロ(当時はBリーグではなく、JBLの時代)に行ける選手は各学年5人くらいでした。大学でもそうとうレベル高い選手でも、声がかからず社会人リーグでやっている人もいました。
オンラインサロンやインフルエンサーの情報商材を買っている人たちは、今一度考えたほうがいいと思います。入ったから、買ったから、で自己満足してしまっているひとが多い気がします。

⑦ いまはみながスターを目指している社会です。新自由主義とSNSがその傾向を加速させました。けれどもそれは原理的にまちがっている。だって、みながスターになることは原理的にありえないんだから。だから、スターだけが文化を創るのではなく、じつはその周囲のコミュニティこそが大切なんだという価値観をもっと広めていく必要があります。

地道に努力し、自分がやっていきたいことや学びたいことを積み重ねていくのが、わたしにはあっている。仲間も少ないけど、気を使わずに言いたいことを言える仲なので、いまが楽しいと思えることに感謝。

⑧ ぼくたちの社会では、SNSが普及したこともあり「言葉だけで決着をつけることができる」と思い込んでいるひとが実に多くなっています。でもほんとうはそうじゃない。言葉と現実は常にズレています。

本で読んだことと、実際に現地に行った観光ではまったく違う。
バンコクへ行ったときに実感して、みな「安い」「安い」と話していましたけど、屋台のローカルフードは確かに安いけど、アルコールは日本と同じくらいするし、英語が通じて少しいいレストランいくと日本以上に高かったです。
いい経験になりました。

⑨ ぼくがずっと抱えてきた「ホモソーシャル性」からの決別とも言えることができます。
ホモソーシャルな人間関係が問題視されるのは、要は、自分たちの思想や欲望の等質性を無自覚に依存するあまり、他者を排除してしまうからです。ひらたくいえば、同じような人間ばかりで集まっていて気持ち悪いということですが、まさに論壇や批評の世界はそのような批判を浴び続けてきました。

毎回、同じ友達と一緒にいるのですが、それはあまり良くないという意味なんですか?ホモソーシャルというのをしっかり学んでなく、確かに他者(はじめましてのひと)はあまり受け付けない性格です。

⑩ コロナ禍のため「オンライン観光」といった言葉も生まれました。けれども、それはやはり観光ではないのです。オンライン観光では現地に行くまでの時間をつくることができない。旅の価値はかなりの部分は、目的地に到着するまでのいっけん無駄な時間にあります。そのときこそひとは普段とはちがうことを考えますし、思いかけぬひとやものに出会います。

旅は、せっかくで成り立っています。
「せっかく来たのだから食べていこう」
「せっかく来たのだから覗いてみよう」
「せっかく新幹線乗ったんだからビール飲もう」
時間を共有することに価値が見出されますね。

11 いまのネットは、みなが自分の一部を切り売りして閲覧数を稼ぐしかなくなっています。だからみな同じ言葉しか発せなくなっています。けれどもネットには別の可能性もあったはずです。(省略・・・)シラスは広告モデルに頼りません。無料放送もしません。だから100万人に見られても意味がありません。いっときバズるよりも100人の心をしっかり掴む、そんな番組をつくりたい配信者と、そんな番組を見たい観客をともに支援するプラットフォームを目指しています。

この考え方はまさに理想。だれかれかまわず閲覧されると、否定的なコメントが多くなるし、無料ほど民度が低い人の集まる場所はない。
私自身、別のブログもやっているのですが(グルメ系)、会員制でやりたいとも考えていました。その分、閲覧数は減りますけど、より良質で他では知りえない情報も書ける気がします。

12 お金は、それを道具として使っているかぎり便利なものでしかありません。貨幣を介した商品交換自体はだれも不幸にしません。問題は「資本の蓄積」です。いまのことばでいえば「スケール」です。お金の蓄積が自己目的化し、数に人間が振り回されるようになったときに、社会と文化は壊れていくのです。この点では、いまネットで起きていることは、19世紀にマルクスが指摘した問題の延長線上にあります。

やりたいことが明白であるならば、経済的自由はあったほうが便利と考えています。贅沢しただけとか、働きたくないとか、フワフワな考えだったら不必要(むしろ、そのような人に経済は回ってきませんけど)。
マルクスの本を読んでいないので、読んでみます。

13 オンラインサロンは想定されるユーザー像とは異なります。オンラインサロンに集う人々は、悪口で「信者」と言われることがあります。それは、オンラインサロンに集うひとが、カリスマに、論理的な判断ではなく感情で繋がっていることを揶揄する表現です。

オンラインサロンは、基本情報弱者が入るものだと感じていますが、違いますか?
オンラインサロンでしか楽しめないことって、主催者と連絡取れたり会えたりするだけのように思います。

14 いまの日本に必要なのは啓蒙です。啓蒙は「ファクトを伝える」こととはまったく異なる作業です。ひとはいくら情報を与えても、見たいものしか見ようとしません。その前提のうえで、彼らの「見たいもの」そのものをどう変えるか。それが啓蒙なのです。

啓蒙の方も、誰から教わるかによって180度変わってきます。
是非、東氏みたいな有識者の方々が、この考え方を広めてほしいと、刹那に思っています。

批評家・哲学者、相当知識もないといろいろな言葉や発想は生まれてこないことと、私も知識をつけて勉強するのが楽しいと感じました。

哲学者も、ある意味洗脳ではありますが、『こんな考え方もあるのか。』と引き出しにたくさんしまっておきたいと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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